大陸を走って横断する僕の話。


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24時間走世界大会・日記。
2010/05/19 22:57

すごい大会だった。
いくら“世界大会”と言っても、ウルトラマラソンはフルマラソンと比べると遥かにマイナー種目だから、地方で行われるロードレースのような小規模なものなんじゃないかな?と予想していた。

大会前々日にパリから列車で4時間離れたところにある会場地のブリーブ・選手村へ到着。

夕方の空いた時間を利用して会場下見を兼ねた試走をしていると街中のそこかしこに大会ポスターが貼ってあって、街中の人達からもジロジロ見られる。大会会場はまだレース当日のコース準備が整っていなかったようでうろうろ迷っているとスタッフさんと思われる外人のおっちゃんが親切に案内をしてくれた。記念撮影をカシャリ。

『君は何キロ走れるランナーなんだ?』
『258km。でも目標は世界新記録です』
『ワハハ。まずは260kmを目指してがんばりたまえ』

みたいな会話を交わして別れた。


レース前日。
この日はフラッグパレードと開会式があった。大会スタッフの子供たちに自国の国旗をしっかりと掲げてもらいブリーブの街中を行進しながら各国代表選手が一丸となって大会会場へと向かう。
チームジャパンの国旗を持ってくれたのはジェン君という中学生くらいの男の子ですぐに仲良くなった。
温かく迎えてくれるブリーブの人達へも手を振りまくった。

大会会場での開会式。
すごかった。
世界32ヶ国の代表選手、総勢234人が会場に埋め尽くされる。
開会式のスピーチ内容はフランス語に英語の通訳が入るだけなので内容さっぱりだけど、あぁ。紛れもなく今、僕はウルトラマラソンで世界の舞台へ来ることが出来たんだな。と、じんわり思った。

開会式を終えうろうろしていると、アメリカ代表のスコット・ジュレク選手を発見!隙をみて早速話しかける。

『こんにちはジュレクさん。僕は日本の井上真悟です』
『あぁ…。今回はセキヤは来ていないのかい?』

う〜む。せっかく自己紹介したのに僕の事は眼中にないようでアジアNo.1日本選手の関家さんのことを聞かれた。
その後、ちょいちょいと会話して別れる。

夜。緊張と興奮がじわじわと沸いてきた。
日本で応援してくれているみんなからの寄せ書きをもう一度読んでから寝た。


レース当日。朝。

スタートの4時間前に目覚めた。睡眠は充分とれたし無駄な疲れはない。ベストコンディションだ。
朝食用に昨晩、ホテルの自販機で買っておいたスニッカーズを4本食べながら伊坂幸太郎の短編集を読んで過ごした。心暖まるストーリーにちょっと感動。サクッとレース終わらして早く続きが読みたいな。

レース会場。
どのチームもエイドステーションの準備に慌ただしい。今回、僕はレース用の食事としてお粥・うどん・蒟蒻ゼリー・杏仁豆腐、飲み物にオレンジジュースとアミノバイタルを用意した。
各選手がテーブル上に割り当てられたスペースへ自分の補給食などを並べておく。
レース本番はテーブルから1m以内の区間でサポーターに手渡してもらうか直に取ることでエネルギーを補給する。今回のジャパンチームサポーター陣はベテラン揃いなので心強い。エイドでの無駄なタイムの消耗はないだろう。もちろん立ち止まって“お食事”をするつもりはない。

チームリーダーの竹田さんの基、日本代表の6人で円陣を組んだ。
いざ出陣。

スタートライン。
その最前列の右端に立った。左側には250kmクラスの選手が2人。そして一番左端にスコット・ジュレク。
僕のレースプランでは今ここに立たなければ話にならない。ここから先は戦略と戦術の世界だ。

号砲。
フランス語のカウントが分からず一瞬出遅れた隙に奇声をあげながらジュレクが先頭へと躍り出る。
その後ろに6人の選手がついて第一集団が形成された。僕はその最後尾。
予想通りの展開。

最初の一時間は1km平均約4分10秒の超ハイペースで進んだ。先頭は常にスコット・ジュレク。
ただし二番手以降は目まぐるしく入れ換わる。
“4分10ペースで一時間走ること” ならどの選手も出来ただろうけれど “あと23時間走らなければならないこと” を知りながらこのペースを維持する選手はそう多くはない。
先頭集団は序盤のたった2時間でジュレクと僕の二人だけになった。
ジュレクが前を走る周回遅れのランナーを掻き分けながら果敢にとばす。
僕は少しでもロスの少ないフォームに徹しながらその掻き分けられた道を坦々と走る。

ジュレクが先行逃げ切り型のランナーだと言うことは解っていた。
常識ではついていけないだろうハイペースで後続を引きちぎりレース後半はその貯金を活かしたレース巧者振りをみせるだろうということも。
だからこそ、その最初を潰す。
ジュレクが序盤に犯した1つ目のミスは“24時間走で先頭に立つことの不利さ”を甘くみたこと。
他のレースと異なり24時間走は周回コースだ。ましてや今回のように決して広くはない道幅のコースで250人近いランナーを掻き分けていくことの体力的・精神的ロスは相当のものだろう。
そして2つ目のミスはこの超ハイペースに着いてこれるランナーがいたこと。
つまり僕がいたことだ。

レースから4時間が立ちジュレクがついにペースダウンした。もちろん追い抜いて僕が首位に立つ。
先行逃げ切りに失敗したランナーはレース中盤で中弛みする。
ここからの数時間で2位を走るジュレクに対して絶望的なほどの距離差を拡げるのがここからの僕の仕事だ。
既にレースはジュレクのおかげで“先頭集団へは道を譲れ”と刷り込まれている。

90km通過、依然としてトップ。アナウンスで何度も僕の名前が呼ばれる。これは前日の開会式で知ったんだけど大会アナウンサーはあの大会下見の時に偶然知り合ったおっちゃんだった。100kmが近づくにつれおっちゃんのアナウンスが興奮染みてきた。会場中の観客が沸く。100km通過が7時間46分台。

レースから12時間が経過。22時。日の長いフランスにもようやく夜がやってくる。日が堕ちてから多くのランナーにとっての敵は睡魔だ。海外勢が乱れ始める中、坦々とペースを守るチームジャパン。
どの選手もさすが国内代表というだけあって、お手本のようにフォームがキレイだ。仲間のフォームを頭に焼き付けながらムダな力みをなくした走りを心がける。

110kmを通過した頃から足が鈍りはじめていた。24時間走の最大の敵はもちろん疲労だ。
安定したペースで走り続けてもほんの数分立ち止まって休んでしまっただけで潜在的な疲労が一気に表面化する。ガチガチに固くなった筋肉のせいで一気にペースを落としてしまう経験を過去によくした。
このレースではそうなるような立ち止まり方はまだ一度もしてない。
それでもペースがあがらない。僕も序盤戦で1つミスを犯した。ジュレクのハイペースに最初からピッタリついていってしまったことだ。
7kmまで拡げたジュレクとの距離差がその後、一向に変化しなくなる。
キロ5分ペースの膠着状態のまま時間が過ぎてゆく。

深夜。
競技を続けているランナーがだいぶ少なくなった。
ジュレクとの差はいまだ7kmのまま。
眠気はまだない。
僕はこれまでの経験から睡魔に打ち克つために一番効果的なのはカフェインではなくアドレナリンだと思っている。
深夜こそ、闘争本能むき出しのレース運びをしなければならない。

それはジュレクにとってもそうだったんだと思う。
レース経過から16時間目。
コースの対面でスタートの時と同じように再び奇声をあげながらハイペースに切り替えたジュレクを目視できた。

これも事前に得たいくつかの情報からの予測だけど、ジュレクは追い詰められたレース後半にこそ真価を発揮するランナーなんだろう。
これまでのレースでもふとしたきっかけで急激に走りが甦るランナーを何人も見てきた。
ジュレクは間違いなくそのタイプで、おそらく今ぐらいの距離差は覆して逆転優勝も狙える自負があるんだろう。で、なければアメリカで“伝説の”ウルトラランナーなんて呼ばれてない。
その彼に今、スイッチが入った。ここから先は危険だ。

ロングスパートをかけた相手を調子付かせると致命的になる恐れがある。
僕がこのレースを生き残るための戦術は1つ。
ジュレクのロングスパートをラストまでぴったりマークすることだ。

ラスト8時間で7km差を覆すためにジュレクは一時間で約1km、僕との差を詰めなければならない。

先頭を走る僕はジュレクを無理に追い抜く必要はない。ただ同じペースであわせるだけでジュレクにプレッシャーを与えられる。
この時点でまともな固形物はもう食べられなくなっていたし血尿も出てた。苦しくない訳がない。
それでも勝負どころで相手を打ち負かすためには隙を見せるな。この後半戦に勝つためにはラストまでポーカーフェイスだ。

しばらく後ろを走っていてジュレクが3周に一回、チームメイトから補給食を受け取っているというサイクルが分かった。
そして補給食を受け取った周だけは確実にラップタイムが落ちる。
次のサイクルでジュレクが補給食を受け取った瞬間にこちらからペースを引き上げた。さぁどうだ?

そこからが怖ろしかった。
後続のジュレクを更に突き放したハズなのに。精神的な余力はない。
30分、1時間単位のロングスパンで再びジュレクが僕との差を数百メートルずつ詰めてくる。
諦めないランナーほど怖いものはない。

スタートから18時間が経過し、19時間が経過し、20時間が経過した頃、その差は6kmほどにまで詰められた。
それでも冷静に考えれば1時間に1.5kmずつの差を詰められさえしなければこの順位が覆ることはないのだけれど、既に20時間も走り続けてボロボロになった筋肉や内蔵を酷使しながら必ずしもこのペースが保ち続けられるという保障はない。もう呼吸するのが苦しい。

冷静さを欠いて補給食を摂るのを怠ったツケがきて突然、ハンガーノック状態になった。
燃料切れ。
なんとかエイドステーションまで粘り、大急ぎでお粥、うどんを作ってもらう。
手当たり次第食べまくった。サポートスタッフへ弱音を吐いた。7分近く立ち止まってしまう。
ジュレクとの差はその間に一周分縮まる。
『大丈夫だ!5分すればすぐエネルギーに変わるからな!』
サポートスタッフのその言葉を信じて、再び走り始めた。

『あきらめないで最後までがんばれ!』
『がんばって優勝してください!』
『最後まであきらめずがんばってください!』
ジュニアの子供たちからそんな言葉をいっぱい寄せ書きもらっていたことを思い出した。

そうだよな。
“最後までがんばって、そして優勝すること”
もうそれだけだ。それだけでいいんだ。それだけがすべてだ。
そのためにはあきらめちゃだめだろ。

走る。ただ走る。

苦しくて、辛くて、それでもただ前だけを見て走った。走り続けた。
もうジュレクも他のランナーもタイムも何も考えなくなっていた。

ただ懸命に前だけを見て走り続けた。


激闘の末。
レース開始から23時間45分が経過。
大会スタッフより各国選手へ自国の国旗が手渡される。
当然、僕は日本の日の丸国旗を手に。
ラスト15分。
ラスト2周だ。
ウィニングランのつもりはない。
最後の最後まで、日の丸の国旗を掲げながら懸命に走り続けた。

そしてレース終了。

ブリーブの会場中が沸いた。
僕は感動と感謝の言葉しか出なくて、日本語で、出せる限りの大声で、『ありがとう』と叫びながら
コースを埋め尽くす数千人の観客、一人一人の目を見つめながらゆっくりとゆっくりとコースを歩いていった。

ジュレクもアメリカチームのスタッフも、各国のたくさんの選手たちとも、そしてもちろんチームジャパンの仲間とも、一人一人と固い握手を交じわせてゆく。

この24時間を経て最後には、観客もスタッフも選手同士も、世代も言語も国籍も越えて、
ひとつの感動を共有することができたんだと僕は思う。


カテゴリ:その他。

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